Sample Club

その他

掛布雅之

掛布雅之
経歴 阪神
解説スタイル 日テレ専属から紆余曲折を経てフリーの立場。主は毎日放送で、朝日放送系、全国ネットにも登場する。 日テレ時代は「いつも憧れ」巨人寄りの解説が目立っていたが、今はヒジョーにフラットな解説をする。 地獄を見てきただけあって、気配り満点。決して人を嫌な気分にさせない話しぶりは、現役時代に後ろを打っていた監督復帰したA氏とは対極の位置にいる。 こと『四番打者論』に関しては十家言も百家言もお有りのようで、口厳しいのも良し。
キーワード 習志野高時代は、阿部慎之助の親父とクリーンナップ。テスト生から阪神入り。 1年目のオープン戦で、自身の結婚式のため欠場した藤田平に代わって出場しチャンスを掴む。田淵宅を訪れバットくすねる。 トレードが決まった田淵に「お前は途中でタテジマを脱ぐようなことはするなよ」と重い十字架を背負わされる。 江川の初球カーブは見逃し。101匹の虫。本塁打王を争い、宇野と四球合戦。引き付けて押し込む。アンカケ派。 飲酒運転で検挙され、久万オーナーから「欠陥商品」と吐き捨てられる。松井秀喜や阿部慎之助は掛布に憧れ左打ちになる。 フォアストベース。引退後、巨人に肩入れ過ぎた結果、2003年の優勝時にはよみうりテレビの特番でその他大勢の扱いを受ける。 スポーツ用品店、お好み焼き屋など手広くサイドビジネスを展開した結果、首が回らなくなる。 楽天やロッテから監督就任要請を受けるも「おもちゃ同然」に扱われる。その後、戦友・中村勝広GM時に阪神に復帰するも、 DC(打撃コーディネーター)やSEA(シニア・エグゼクティブ・アドバイザー)、ハンシン・レジェンド・テラーなど肩書で遊ばれ、 おもちゃ同然の扱いを受ける。腹心は源五郎丸洋。

広澤克実

広澤克実
経歴 ヤクルト-巨人-阪神
解説スタイル 関西で解説仕事をするのはサンテレビだけだが、専属ではなく本数契約。 ヤクルトで長らく四番を務め、阪神と巨人でも四番を打った唯一の存在で、大リーグ、大学野球、少年野球にも精通し、引き出しは豊富。 意外にも数字のデータに詳しく、若干ひけらかし気味。 ただし基本的には大雑把な性格で、預言者気質もある。
キーワード 明治大時代は島岡吉郎監督の焚き火番・焼き芋番。ヤクルトの自販機を背負う。イケトラコンビ。 連続フルイニング出場を続ける中、不振を極めた際に長嶋一茂を代打に送られ、ベンチ裏で「あのジジィ!(関根潤三)」と荒れ狂う。 長嶋茂雄のルール無用のタンパリング交渉により巨人にFA移籍。 清原和博・石井浩郎・マルティネスがチーム内にいる中、不慣れなサードを守らされる。 阪神移籍後の2001年、井川慶が完封した巨人戦で虎の子の1点をたたき出すホームランを放ち、ヒーローインタビューで六甲おろし熱唱。 2003年の日本シリーズでは、経験豊富なため四番に据えられるも5打席連続三振。 敗戦濃厚な第7戦の最終打席で和田毅からホームラン。結果的に現役最終打席になる。 明治の大先輩・星野仙一に「俺は辞めるからお前も辞めろ」と強引に辞めさせられる。 コーチ時代は貧打線の批判が集中し、自身のブログで応援団のチャンステーマに苦言。

金本知憲

金本知憲
経歴 広島-阪神
解説スタイル ラジオは毎日放送専属だが、テレビはチャンネル問わずどこでも出る。 もっとも、値打ちをこいているのか、年間数試合しか解説はしない。 解説内容は、監督解任の傷がまだ癒えていないのか、非常に奥歯にモノの挟まったような口ぶりをする。 また、投手や内野手について尋ねられた時「僕はやったことないのでわからないですね」では解説にならない。 解説者として骨をうずめるつもりではないのは分かるが、もうちょっと聞きたくなる解説に努めていただきたい。
キーワード アニキだけど次男。弟のように可愛がっていた新井貴浩は長男。 広陵高校の監督に中央大のセレクションの時期を嘘つかれて1年浪人。 ヤクルトの入団テストも不合格で、東北福祉大に拾われる。 モグラ殺し。広島ではFA残留が認められないのでFA宣言。 入団交渉で星野仙一に「お前は俺と一緒にやることになってるんや」と脅される。 移籍1年目は赤星に盗塁王、濱中に打点王を取らせる「つなぎの3番」に徹する。 優勝決定直後、アリアスとともにおもちゃ(藤本敦士)を引きずり回す。 ダイエーとの日本シリーズ第3戦で劇的なサヨナラホームラン。 岡田彰布監督就任直後に翌年からの4番固定を言い渡され、歴代ホームランバッターの書籍を読み漁る。 岩瀬仁紀から左手首に死球を受け、翌日久慈照嘉の軽いバットを借りて右腕一本でヒット。 ヤニキ。 守備範囲が極端に狭まり、鳥谷にショフト(ショート+レフト)させる。 引退セレモニーで新井貴と平野恵一にビンタ。 「掛布さんとは野球観が合う(2年後に追い出す)」。 でたわね。サヨナラヒットを打った伊藤ハヤタにハートを撃ち抜かれる。 ヤネキ。

谷繁元信

谷繁元信
経歴 大洋・横浜-中日-中日
解説スタイル フジサンケイ系の解説者で、提携先の毎日放送が制作する関東方面の試合のラジオ中継で解説を担当する。 名球会捕手にして兼任監督ならではの、配球、試合展開の読みなど鋭い洞察力を駆使した解説がウリ。 ねちっこい話しっぷりは賛否両論あるが、捕手出身らしくもある。 未だに「ロサリオは良い選手だった」と言うように、評論家活動開始以来、全国波でもタイガース寄りのスタンスを取り、しっかり「西の仕事」を獲得しているのはさすが。
キーワード たに坊。 幼少時代、悪さして家の外で正座させられ、2時間犬と喋る。 幼少時代、親父の狩猟に連れられ、猟犬の代わりにキジを追い込む。 広島出身だが、幼馴染が進学する広陵高や練習で刀の上に立たされる広島商業高を避け、広島工業高を受験するも失敗。江の川高に拾われる。 高校3年生の時、カープのスカウトに達川光男のミットを貰うも「俺には合わない」と練習用に。 大洋新人時代、オープン戦で斎藤雅樹からホームランを打ち、その晩に熱を出して寝込む。 高浦己佐緒コーチに理不尽に殴られ「辞める!」と荷物まとめるも、須藤豊監督に説得され撤回。 佐々木主浩のフォークが止められず、試合途中で秋元宏作に代えられる。 大矢明彦とマンツーマンで特訓し、佐々木に認められる。 自軍ピッチャーのロッカーチェックが厳しい。 不甲斐ない横浜投手陣に腹を立て、打席に入った古田敦也に「こんなもん2軍のピッチャーですよ」と愚痴る。 ムカついたときは、ピッチャーに140㌔で返球。 漫画「ササキ様に願いを」ではあほキャラ扱いで、口癖は「のーん」。 1998年の日本一に大きく貢献するも、二枚舌を使う森祇晶監督と生理的に合わず、海外FA移籍図るも失敗。中日に拾われる。 移籍したその日から最期は横浜で終わりたいと思いながら中日で14年間正捕手。 背番号7を気に入って背負うも、落合博満新監督に「22と27どっちがいい」と強引に変更させられる。 「22はタブチくんみたいでやだ」。 中日の歴史を代表する捕手になるも監督失敗の負い目を感じ、中日については今も奥歯に物が挟まりまくっている。

赤星憲広

赤星憲広
経歴 阪神
解説スタイル テレビは日テレ、ラジオは朝日放送を中心としつつ、チャンネル問わずバラエティでも活躍する姿はさすが全国区。 ただ、もともとファンだったとはいえ、サンデードラゴンズに出てるのはどうかと。 解説での話しぶりは、良く言えば優等生、悪く言えばくそ真面目。 OBだからこそ厳しくしようという姿勢はわかるが、もうちょっと楽しくなる話もしてもらわないと。
キーワード 大府高時代、2度選抜甲子園に出場。2度とも致命的なタイムリーエラーを犯して初戦敗退する。 JR東日本時代は車掌資格を取るも乗る機会無し。非力ながら快足がダイヤが輝く野村克也のお眼鏡にかない、ドラフト4位入団。 入団会見で「(この年退団した)新庄さんの穴を埋める」と豪語し、記者陣を困惑させる。 F1セブンの1号車。1年目から盗塁王+2割9分の打率で新人王。怪我明けの3年目はキャンプで濱中とのレギュラー争いを制し、 ところてん式に桧山をファーストに追いやる(1日で逃げる)。優勝を決める日の試合でサヨナラタイムリーを放ち、星野仙一と熱い抱擁。 2003年のビールかけでマッチョシャツ。05年はHG(ハードゲイ)。 絶対に痴漢に間違われたくないので、電車では両手つり革。 盗塁1つにつき車椅子1台贈呈。福岡ドームでのヒーローインタビューで「聞こえんちゃーね」とファンにヤジられた際 「(マイクが場内スピーカーに)入ってねえんだよコノヤロー!」と応戦する。 小兵ゆえ、腰椎椎間板ヘルニアなど度重なる怪我に見舞われ、入団9年目で引退。 引退後はタイガースから度々コーチ就任を要請されるも、体調面から固辞。解説の仕事も体と相談しながら続ける。

福留孝介

福留孝介
経歴 中日-MLBシカゴ・カブス-同クリーブランド・インディアンス-同シカゴ・ホワイトソックス-阪神-中日
解説スタイル 2023年度新人解説者の中では超目玉。全国ネットでは日本テレビ、ローカルでは東海・中京など名古屋が中心だが、関西でもゲスト解説の機会はありそう。現役時代の職人肌とは打って変わったベラベラとチャラいトークを期待。
キーワード PL学園時代、高校No.1野手の呼び声で7球団から指名されるが、赤ふん履いて見事当たりクジを引いた佐々木恭介をソデにする。日本生命を経た3年後のドラフトで意中の中日から単独指名受けるも、その3年後に佐々木恭介が打撃コーチとして招聘され、肝を冷やす。が、結果的に佐々木に一人前に育ててもらう。のちに名外野手として名を馳せることになるが、ショートはクビ。2004年オフの契約交渉でゴネにゴネ「銭闘民族」と呼ばれる。「生き帰れ福留」。メジャー移籍時「FUKUDOME」表記がF語を想起させると懸念される。移籍2打席目にホームランを放つなど、MLBでは毎年春の一瞬だけ絶好調。帰国後は、メジャー移籍時にもオファーを受けていた阪神に入団。復帰1年目は打率2割、2年目はムービースター(西岡TSUYOSHI)と激突するなど、良いところがなかったが、和田”Chu”豊監督がしつこく粘り強く使い続けたせいでおかげで、3年目は打率.280、本塁打20本と再び生き返る。不甲斐ないMt.FUJIに説教。自由契約後に中日に復帰。あまりにも野手の戦力層が薄いため、44歳の超ベテランが戦力として数えられてしまう。